歴史的町並み

寺内今井について
 「今井」(現奈良県橿原市)が初めて文献上に登場するのは、
興福寺一乗院の文書で、至徳3年(1386)、興福寺の荘園と
してです。室町時代の後期には、この付近に一向宗(浄土真宗)
の道場(後の称念寺)ができ始め、旧勢力に何回か焼き払われま
すが、天文年間(1532〜1555)頃には、寺内が誕生していたと
考えられています。

町並み
今井町の伝統的様式の町家は、切妻造、平入、前後庇付本瓦葺
(または、桟瓦葺)が基本です。今西家住宅をはじめ、8件が国の
重要文化財、4件が奈良県指定文化財、6件が橿原市指定文化
財になっています。

ここでは、国の重要文化財の八件を紹介したいと思います。

参考資料「今井町」橿原市教育委員会


華甍(はないらか)
旧高市郡教育博物館
明治36年(1903)に建てられた社会教育施設です。昭和初年より
今井町役場として長く使用されていました。現在は「今井まちなみ
交流センター」として使われています。


称念寺
今井町は、称念寺の境内地として発達した「寺内町」です。


今西家住宅
今井町の西端にあり、惣年寄の筆頭をつとめた家です。慶安3年
(1650)に建てられた民家ですが、城郭のような構造で別名「八つ
棟造り」とよばれている豪壮な建物です。


今西家内部


豊田家住宅
旧は、材木商「西の木屋」牧村家の所有で、幕末には大名貸しを行い
藩の蔵元等をつとめていた豪商です。建物は寛文2年(1662)に建設
されたもので、今西家住宅と並び、今井町における上層町家の好例です。


中橋家住宅
称念寺の筋向いにあり、屋号を「米彦」といい江戸時代は米屋を営んで
いました。主屋は、18世紀後半頃に建てられた平屋建の町家でしたが、
19世紀初期頃、正面通りに「つし二階」が増築されました。


上田家住宅
今西家・尾崎家と並び惣年寄をつとめていました。主屋は祈祷札から
延享元年(1744)頃の建築とみられます。入り口を西側に設け屋根も
他家と異なっています。内部も惣年寄の特権からか装飾的な要素が多
いようです。


音村家住宅
「細九」の屋号で金物問屋を営んでいました。17世紀後半頃主屋を建て、
後主屋西北部に「つのざしき」を増築し、19世紀中頃、西側に座敷が追加
されました。当家は時代の情勢にあわせて逐次増築されているのが特徴です。


旧米谷家住宅
「米忠」の屋号をもち、広く金物屋を営んでいました。18世紀中頃の建物で、
後に、内蔵や蔵前座敷を増築しました。主屋は他家と異なり、5室型で農家風
のイメージが強い建物です。


河合家住宅
江戸時代初期頃、上品寺村より移住し、古くより「上品寺屋」の屋号で酒造業
を営んでいます。18世紀中頃に建てられた早い時期の二階建て町家で二階
に座敷等が設けられており、豪商の片鱗がうかがえる建物です。


高木家住宅
19世紀初期頃、「四条屋」より分家し「大東の四条屋」の屋号で、酒造業を営ん
でいました。発達した二階建て゛、一階、二階共2列6室型の部屋となってい
ます。また正面通りの格子の精彩さ等、幕末期の上層町家の好例です。


家並み